港北区師岡町の腰痛専門整体院「そわか整体院」の大橋です。
小林正観さんのお話しです。
私は30歳で結婚して、3年たってようやく生まれた長女が障害児でした。
娘が6年生のときのことです。
その日は運動会で、朝、妻がいつもよりニコニコしていたので、「なんか、えらく楽しそうだね」と声をかけました。
すると、妻はこう答えました。
「今日は、もしかしたらうちの娘がビリじゃないかもしれない」
娘は染色体の異常で、体の筋肉が普通の人の半分しかなくて、基礎体力も筋肉も発達していない。
だから、走るのに人の3倍の時間がかかるのです。
徒競走は小学校5年生まで、いつもビリ。
8人中の8位でした。
妻が言うには、クラスの中に一週間前にケガをした子がいるそうで、足首に包帯をグルグル巻いている。
先生が「徒競走はやめたら?」と言っても、「どうしても走りたい」とその女の子が言うのだそうです。
それで、その子と娘が最終組で走ることになった。
もしかすると娘が7位になるかもしれない。
妻はそう話しながら、楽しそうに出ていきました。
私は原稿を書かなくてはいけないので、家に残っていました。
そして夕方、妻はニコニコ帰ってきました。
「どうしたの?楽しそうだけど、7位だった?」
「それがね、やっぱり8位だったの」
「ケガをしていた女の子はどうなったの?」と、私は聞きました。
そうしたら、こういう状況だったそうです。
ヨーイドンで走り出して、ほかの6人が50mくらいの地点にいたときに、娘は15m、その子はまだ10mくらいでビリだった。
娘のほうが速かったのですが、その子があるところで「キャッ」と転んでしまった。
それに気づいた娘が、トコトコと逆走しまして、その子を助け上げた。
そして、その子の腕を持って、残りをいっしょに走って、ゴール手前でその子の背中をポンッと押してから、自分がゴールに入ったそうです。
それで、けっきょく娘はビリだったということでした。
でもゴールの10mくらい前で、もう一度テープが張り直されて、会場が割れんばかりの大拍手に包まれたということでした。
妻は、とても感動的だったと言いました。
娘はというと、ビリだったのですが、帰ってきてもニコニコしながら、テレビを見ていました。
「神様を味方にする法則」 小林 正観 著 マキノ出版
一位になるよりもっと大切なことだと思いました。
最後までブログをご覧になっていただきありがとうございました。