港北区師岡町の腰痛専門整体院「そわか整体院」の大橋です。
聖路加国際病院小児総合医療センター長、細谷亮太氏の心に響く言葉より…
キリスト教では、「その通り」「神さまのおっしゃる通り」という意味でお祈りの最後に「アーメン」と言います。
それでみんなが安心するのです。
仏教の浄土真宗系の人は、お経の終わりに「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏し、最後に「南無阿弥陀仏。」と「。」がついた念仏を称(とな)えて安心します。
これで「大丈夫だ」と思えるのでしょう。
いつの頃から、私も診療を終えた子どもたちに、必ず「大丈夫。」と言っているようです。
私はこれまで、友人にだまされて借金ができても、子どもが受験でうまくいかなくても、「どうにかなるだろう」と思って暮らしてきました。
今後、何か起こるかもしれないけど、それでも、「まあ、大丈夫だろう」という根拠のない大丈夫感には自信があります。
けれども、大丈夫だと思って何もしなかったわけではありません。
私たちが育った時代は、なんでもある豊かな現代とは根本的に違いました。
日本全体が貧しく、学校にお弁当を持ってこられない子もいました。
子どもの周囲も危険がいっぱいでした。
私自身のことでいえば井戸に落ちて死にそうになったりしたこともあります。
さまざまなな悲しいことやつらいことがありながらも、私自身それなりに人事を尽くしてきたと思っています。
人間は、常にさまざまな状況に直面します。
そんなときに、「もうだめだ、もうだめだ」と思っても大丈夫だったから、その人は今まで生きているわけです。
「もうだめだ」と思うよりは、「大丈夫」と思って生きているほうが絶対にいい。
「大丈夫、大丈夫」と言うときに、私たちは「大丈夫。」の中にお祈りの気持ちを込めていいます。
そういうお祈りの気持ちが入っているような「大丈夫。」が与える信頼感で結ばれた人間と人間のつながりが、とても重要だと思います。
不安や疑問を抱いている人にとっては、大丈夫感を持つ人から「大丈夫。」と言ってもらえることが安心のもとなのです。
だから、「大丈夫。」もお祈りの一つなのです。
『きっと「大丈夫。」』致知出版社
一休禅師は、亡くなる前に弟子達に三巻の遺言を残した。
もしお寺でどうにもならないほど、困ったことがあったら、この三巻の遺言を開けなさい、と。
一休禅師が亡くなって何年かして、お寺にほんとうに困ったことが起こり、その遺言書を開けることにした。
すると…
一巻目には「大丈夫」、
二巻目には「心配するな」、
三巻目には「何とかなる」
と書かれていたという。
ある程度の年齢を過ぎた人なら、誰でも一つや二つ、もうどうにもならないような困ったことや、困難があったはずだ。
しかし、どんな難問であっても、それが何とかなってきたから、我々は今生きている。
時が過ぎればどんなことも、必ず何とかなる。
『お祈りの気持ちが入っているような「大丈夫。」』
自分にも人にも…
「大丈夫。」と心を込めて語りかけたい。
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