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火を呪文で消すこと

港北区師岡町の腰痛専門整体院「そわか整体院」の大橋です。

山伏という山中で修行をする修験道の行者と、一休さんでおなじみの一休禅師が、験比べ(げんくらべ)をしたときのお話です。

験比べというのは、修験者が修験の程度を競うこと。

以下、「じたばたしても仕方ない」ひろさちや 著(実業之日本社)よりご紹介します。

まず山伏は、きゃんきゃん吠えている犬を呪文でもって鳴きやめさせようとします。

けれども、いくら呪文を唱えても、犬は鳴きやみません。

次は一休禅師の出番です。

彼は持っていたおにぎりを犬にやります。

すると犬は、たちまちおとなしくなりました。

そこで山伏は、こんどは燃えている火を呪文で消すことにしました。

でも、山伏がいくら呪文を唱えても、火は消えません。

ところが一休禅師が、その火にじゃあと小便を引っかけました。

もちろん、火はすぐに消えてしまいました。

「じたばたしても仕方ない」

http://www.dokusume.net/product/pg530.html

深いです。

お釈迦様が、疲れ切った様子の苦行者にであったとき、何年苦行をしているか聞きました。

その苦行者は25年と答えました。

その結果、何を得ることができましたか?と聞くと、

「水の上を歩いて渡れるようになりました」と答えます。

それを聞いて、お釈迦様はこう言いました。

「あなたは馬鹿ですね。何も25年も修行をしないでも、船賃さえ払えば、船頭が向こう岸に渡してくれるでしょうに・・・」

この本には、死の恐怖を克服しようとすることと、呪文で火を消そうとすることは同じだとあります。

仮に、25年修行をしたら死の恐怖を克服できるとしても、そのために人生の25年を使うのはもったいないですね。

理由があって、25年間さえも生きられない人だっているんです。

呪文で火は消せないし、呪文で犬を黙らすこともできない。

死の恐怖だって、みんな恐いし、こわくない人なんていない。

だったら、こわいまま生きれば良いし、だからこそ今を大切にできるのではないでしょうか。

諸行無常

この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。

変わらないモノはない。

出会いには必ず、別れが訪れる。

だからこそ、目の前の人を、今を、この一瞬一瞬を大切に

最後までブログをご覧になっていただきありがとうございました。

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