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「究極の幸せ」とは?

港北区師岡町の腰痛専門整体院「そわか整体院」の大橋です。

日本理化学工業  大山泰弘氏の言葉から・・・

私にはどうしてもわからないことがありました。

彼女たちは毎日、満員電車に乗って通勤してきます。

そして、一所懸命に仕事に励みます。

しかし、どうしても仕事の覚えが悪いため、叱られたり、嫌な顔されることもあります。

ときには、「施設に帰すよ」と言われたりもします。

そのようなときは、泣いて嫌がります。

「施設にいれば楽に過ごす事ができるはずなのに、つらい思いをしてまで、なぜ工場で働こうとするのだろうか?」

私には不思議でならなかった。

そんな疑問が消えないまま、私はとある方の法要のために、禅寺を訪れました。

ご祈祷がすみ、参加者のために用意された食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、偶然にもその寺のご住職が座られたのです。

こういう時、手持無沙汰な状態で、無言のまま座っているのも居心地が悪いものです。

何か話さなくてはと頭をめぐらせているとき、ふと私の口から出たのは、日ごろ感じていた疑問でした。

「うちの工場には障害を持つ人たちが働いてるのですが、どうして彼女たちは施設よりも工場に来たがるのでしょうか?施設の方が楽なはずです」

この唐突な問いかけに、ご住職は「それは当たり前のことですよ」と答えられます。

「えっ」と言った私に、さらに次のように答えてくださいました。

「人間の幸せは、物やお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の4つです。」

「その一つは、人に愛されること」

「二つは、人に褒められること」

「三つは、人の役に立つこと」

「そして最後に、人に必要とされることです」

「人に愛されること以外の、褒められること、役に立つこと、必要とされることは、働くことで得られるのです」

「障害者の方たちが、施設で保護されるよりも工場で働きたいと願うのは、本当の幸せを求める人間の証しなのです」

私は言葉をなくしました。

目からウロコというのはこのことでしょう。

私は根本的に間違っていたのです。

私は障害者の方たちに

「きょうもよくがんばってくれたね、ありがとう」

とか

「一所懸命仕事をしてくれたから、助かったよ」

といった声をかけます。

こうした言葉をかけあうのは、職場ではごく当たり前のことで、私にすれば挨拶代わりのようなものでした。

しかし

「そうしたやとりによって、人の役に立っている、必要とされていることが実感できる。それこそが幸せというものなのです」

と、ご住職は教えてくれたのです。

「ありがとう」と声をかけたときの彼女たちの笑顔が脳裏に浮かびました。

施設で保護されていると「ありがとう」ということはあっても、「ありがとう」と言われることはめったにないかもしれません。

施設にいるだけでは、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされることは実感することはできません。

だからこそ、たとえ苦労が多くても、彼女たちは工場にやってくるのです。

施設では人の幸せにできない。

職場こそが人を幸せにできるのだ。

これは大きな気付きでした。

大山会長の会社は日本トップのチョークメーカーです。

80名の従業員の中で7割が知的障害者。

製造ラインのほぼ100%障害者の方で回している会社です。

このような、やさしい会社がいろんな方々から共感されるででしょうね。

素晴らしい会社です。

最後までブログをご覧になっていただきありがとうございました。

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