港北区師岡町の腰痛専門整体院「そわか整体院」の大橋です。
ドイツの画家、版画家である『アルブレヒト・デューラー』氏の描いた
「祈りの手」のエピソードです。
いまから500年ほど前、ドイツのニュールンベルグの町に「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。
2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。
2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。
思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。
ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。
「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。
でも、僕にいい考えがある。
2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。
1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。
そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、もう1人は働いてそれを助けるのだ。」
どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。
「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う。」
ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。
ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。
デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」
とハンスのことを思い、寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。
一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。
1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。
勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。
ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」
との手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。
数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受けるようになったので、故郷に戻ることにしました。
デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュールンベルクの町へ帰りました。
2人は再会を手を取り合って喜びました。
ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。
そして、泣きました。
なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。
「僕のためにこんな手になってしまって」
と言って
デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。
自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。
彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。
その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、「何か僕に出来ることはないだろうか」
「少しでも彼に償いをしたい」
という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。
ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。
でも、確かに人がいる気配がします。
小さな声も部屋の中から聞こえきます。
デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。
するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。
ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。
「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」
デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。
デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。
ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、祈りが終わった後、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手の祈りで
僕は生かされているんだ!」
こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった
「祈りの手」が生まれました。
もしかしたら、自分が知らないだけで、自分も誰かに祈られているかもしれない。
最後までブログをご覧になっていただきありがとうございました。